6.新羅善神堂と新羅三郎の墓


源義光が新羅明神の前で元服したということを知って以来、新羅明神とそれが祭ってある神羅善神堂(しんらぜんしんどう)というものが、どういうところなのか気になっていました。

2004年8月下旬に広島に行く機会があったので、山梨に帰って来る途中で滋賀県に寄り、新羅善神堂を見て来る計画を立てました。(2004年8月24日に訪ねました。)

調べてみると新羅善神堂は滋賀県大津市にあります。三井寺(園城寺)の北にあるということから、三井寺を目指すようにして行き方を調べてみました。JR線では、東海道本線の大津駅が最も近い駅になります。そこから約2km。駅前から三井寺に行けるバスがあるようなのでそれに乗るつもりでしたが、慣れない土地のためバスに乗り間違え、京阪電鉄の浜大津駅に着いてしまいました。地図を見るとここからなら大した距離ではなさそうなので、後は歩いて三井寺まで行くことにしましたた。

ところで、三井寺とその周辺のいくつかの地図をインターネットの地図サーピスで見てみたところ、次のようなことがわかりました。
地図を見ると、三井寺やその近くには、新羅善神堂の位置が出ていないのです。ところが三井寺の北には「新羅三郎義光の墓」という文字が出ています。新羅三郎義光の墓?本当にそんな墓があるのでしょうか?正体を知りたい、何が何でもその場所へ行って見たい、と思いました。



浜大津から京阪電鉄の線路沿いに歩き、三井寺駅から三井寺の境内に入りました。三井寺の境内はかなりの広さです。境内の案内図や標示から新羅善神堂のだいたいの位置がわかったので、そこに行く道を探したのですが、よくわからないのです。しばらく迷った後、歴史博物館の上にある山道を歩いていくことが、方向としては合っているように思えました。本当にこの道でいいのだろうかと心配になるような山道でした。
気分の上では10分弱歩いたような気がしました。途中から山道は、下りの道になっていきました。林の中に忽然と鳥居があらわれました。「新羅三郎義光の墓」の標示がありました。


(クリックすると大きい写真を見ることができます)

奧に墓があり、脇に次のような説明板が立っていました。

「新羅三郎義光の墓

     大津市園城寺町

 新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守 新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、賀茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
 義光は、弓馬の道にすぐれ、後三年の役(一〇八三〜八七)には、兄の義家を助けるため奥州へでむいて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。
 義光は、一一二七年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。

     大津市教育委員会

 昭和六十二年三月」


(クリックすると大きい写真を見ることができます。かなり手ぶれがひどい写真ですみません)

丸く土を盛った墓でした。「義光は、一一二七年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。」という説明の通り、それが事実としてみましょう。その時代の墓はどういう形をしていたのか、義光の墓の形は一般的なものなのか、研究不足でわかりません。ただ、この墓を見た瞬間、「朝鮮の墓に形が似ているなぁ」と思えました。



新羅三郎義光の墓を後にし、さらに山道を進みました。さらに山を下っていくような道で、徐々に木々がまばらになって辺りが明るくなっていくように思えました。

新羅善神堂に着きました。

(この石段を上ると、下の写真 新羅善神堂が現れる)


(クリックすると大きい写真を見ることができます)

次のような簡単な説明板がありました。

「新羅善神堂

 堂は三間四方の流れ造り、屋根は桧皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている
暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。
 新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像も国宝。源頼義の子義光がここで元服し新羅三郎義光となのったのは有名である。

     大津市」

国宝にしては、説明が簡単すぎる印象を持ちました。世の中から忘れ去られているように、さびしい雰囲気です。境内に入ることはできません。

朝鮮半島での新羅の滅亡は935年です。源義光が1127年に没したとすると、彼が生きていた時にはすでに新羅という国はこの世には存在していません。
源義光の生きていた時代、「新羅」という国や、「新羅明神」という神は、どういう意味をもっていたのでしょうか?
源義光がなぜ「新羅明神」の前を、元服の場所として選んだのか、その理由を知りたいと思うのです。
 


……………

 

 

新羅善神堂をさらに降りていくと、すぐに弘文天皇陵に着きます。ここは大津市役所の裏にあたります。新羅善神堂や新羅三郎義光の墓に行く場合、もっとも簡単な行き方は、京阪電鉄の「別所駅」で降り、大津市役所の北にある中消防署の裏にはいって行くようにして、弘文天皇陵をめざすように行くと近いことがわかりました。細かい道は市役所で教えてもらうといいでしょう。

 

 

 

 

 



○最初にこのページを製作したのは2004年09月18日です。
○最後にこのページを更新したのは2004年09月18日です。